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〒758-0074 山口県萩市平安古75番地

萩城跡(指月公園)detail

 明治に天守閣が解体され今は石組みだけになりましたが、城内は指月公園として整備され桜の季節には多くの市民でにぎわいます。 三重に掘られたお堀の一番内側のお堀です。 外堀の復元発掘作業が行われ周りが遊歩公園の様に整備されました。 外堀を含めた広さは姫路城にも匹敵する広さだと聞いています

天守閣跡

 萩城は関ケ原の役に敗れた毛利輝元が防長二州・三十六万石の居城として、慶長9年(1604)工を起こし同13年
(1608)年完工した。桃山初期の形式を示す。白亜五層の天守閣はたかさ8間(14.4米)初層は東西11間(19.8米)南北9間(16.3米)、 最上層は東西3間半(6.3米)南北3間(5.4米)である。初層は、石垣全面全面にわたって
半間を張り出し俯謝装置になっていた。明治7年(1874)解体まで270年間 毛利氏13代にわたり萩城の象徴と
して威容を誇っていた。 この写真は明治初期 萩の小野為八が撮影ものといわれる。 (史跡札より参照)

 文久3年に毛利の殿様が山口に遷拠された後、明治6年「廃藩置県」の大義明分のもとに公売に付され、 当時天守閣千十三円五十銭、櫓や門は七十銭から七、八円で売却解体された。

花江茶亭

 花江茶亭は、安政の始め、(1854年ごろ)萩藩13代藩主毛利教親が花江御殿(川手御殿・常盤江御殿)内に
造った茶室である。幕末多事多難の折、この茶室で藩主は支藩主や家臣たちと茶事に託して、格式を捨てて時勢を論じ
国事を各策したと言われる。
 維新後、花江御殿は長屋氏に譲渡されたが、明治二十二年ごろ品川弥二郎らが主唱して茶室を買い取り、指月公園内
の現在地に移築した。